diary

恩返しは、またいつか。

実は最近、玉ねぎ収穫の面白さにハマりつつあり、「あさだ農園」さんのお手伝いにちょくちょく行っているのですが、昨日、めちゃくちゃ胸が熱くなる話を聞いたので、今日はそのお話をしたいと思います。

それは浅田さんとわたしを繋いでくれた、Kさんのお話。

わたしがKさんとはじめて出会ったのは、東京で開催した、南あわじ市主催のマルシェ。Kさんは南あわじ市の地域おこし協力隊として参加していて、わたしはまだ移住前でした。

焼き菓子を担当する横で、玉ねぎを販売していたKさん。(奇跡的に当時の写真が残ってた…!)

会場はその場での調理提供や刃物を扱うことが禁止されていたので、わたしは試食分を作りに何度も地下のスタッフルームを往復していました。

その苦労して用意した試食を、何のためらいもなく「俺、これ好きやねん」とバクバク食べるおっさん…

そう、その人こそがKさんでした。

「わたしが苦労して持ってきた試食…!!😠」第一印象は言うまでもなく最悪(笑)

だけどこの人こそが、わたしの淡路島生活には欠かせないキーパーソンになるなんて、当時は夢にも思わず…

気付くと移住後、2週間も経たずに再会を果たし、その二日後にはなんと二人で沼島へ行くまでの仲になっていたのでした(笑)

わたしが淡路島で最初に作った作品「紡ぎ」の制作のきっかけをもらったのもこのとき。Kさんによるはじめての沼島案内のおかげで、やりたいことがハッキリ見えた、衝撃的な一日だったのを覚えています。

それからもKさんとは度々、なんとなく気が向いたら会うようになっていきました。

謎に伊弉諾神宮の春祭りも、一緒に行ったな(笑)

わたしが個人事業主として開業するときも、背中を押してくれたのは他でもない、Kさんでした。

のびのび日和でかなり熱い話を交わして、まじでグッときたんですわ…。

そもそも父親と近い年齢の人と、なんでこんなに仲良くなれたかというと、単純にビジネスマインドがすごく似ていたから。

経営者としての価値観が非常によく似ていたから、会うときは決まって仕事の話ばかりしていました。

だけど出不精な旦那さんに変わって、一緒に諭鶴羽ダムの花見へ付き合ってもらったこともあったな(笑)

いまでは笑い話だけど、それだけカジュアルでライトな、友達でもありいい相棒みたいな関係でした(誰が相棒やねん!て聞こえてきそうだ)

去年は一緒に仕事もさせてもらったけど、やっぱりすごく楽しかった。

たくさんの農家さんとご縁をいただいたし、浅田さんもそのときの一人でした。

その後Kさんは淡路島での任期を終え、神戸へ帰っていったのだけど、いまでも変わらず連絡を取り合っていて、最近も電話で話したばかりでした。

するとその数日後、Kさんは浅田さんの元を訪れ、こんな言葉を残していったのだそう。

「正直ずっと、俺はあいつ(わたしのこと)を娘みたいに思っているところがあって心配してきたけど、こないだ電話で話したとき、声が全然違くて安心した。結婚してくれて良かったわ」

Kさんにはわたしと年齢の変わらない、娘さんと息子さんがいました。

どうやらわたしはその娘さんとタイプが似ていて、姿が重なって見えていたようです。

もちろん旦那さんの話も付き合っているときからずっとしていたし、結婚することも報告していました。

いま思えば、「はよ結婚せぇ!」「はよ子供生めぇ!」「仕事なんかやめて主婦しとけ!」なんて会うたび言われていましたが、あれは冗談ではなく、きっと親心だったんですね。

それと結婚して変わった自覚はないのですが、先月もある人に「沙紀ちゃん結婚してからすごい笑顔が良くなったよね」と言われたのを思い出しました。

結婚がもたらす影響は、自分で思っている以上に大きいみたいで

なによりKさんは、わたしといるときはそんな親心を微塵にも出さなかったので、本音を聞けたことが嬉しくもあり、

「社長!でっかくなってくださいよ!!」

そうやっていつも前を向かせてくれたので、いつか恩返しができるようにもっともっと頑張ろうと思えたのと…

改めてわたしの淡路島生活は、いろんな人に守られて成り立っていることを実感した出来事なのでした^^

 

Kさんはずっと、わたしの大事なキーパーソン。

これからもよろしくね(^_-)-☆

 

 

 

 

「紡ぎ屋」の藤本沙紀です。2017年3月に東京から淡路島へ移住し、フリーライター・制作ディレクターとして活動しています。2020年に島の男性と結婚し、2022年には第一子を出産。ワーママとして日々、奮闘中。