
<初産レポ>三日三晩のオールナイト耐久レース
■3月5日(土)
【AM 2:30】
いつものように尿意で目が覚め、腹部に鈍い痛みが走る。トイレを済ませて寝室へ戻ると、まだ続く腹部の痛みに違和感を覚える。”もしかして…”。直感が働き、ケータイに入れておいた陣痛アプリを起動させてみる。予感は的中。10分間隔で痛みがきている。だけどまだまだ耐えられる。もう少し眠っておこうと再びベッドへ潜り込むも、痛みが気になり一睡もできずに朝を迎える。7時ごろ、痛みが遠のき不規則な痛みに変わる。
【PM 3:00】
旦那さんが仕事を早退して帰宅すると、10分間隔の陣痛が再開。パパがいるときに出てきたいのだろうか。朝よりも段々と痛みが増していく。
【PM 7:00】
痛みの間隔が10分を切る。しばらくおあずけになるであろうお風呂に入り、病院へ向かう。
【PM 8:00】
子宮口は1センチ。まだまだ生まれそうにはないとのこと。このまま入院するかと聞かれるが、ひとりで痛みに耐えるよりも、自宅で旦那さんと一緒にいた方が安心できると思い一時帰宅。しかし内診をしてもらったせいか、さっきまでとは全く比にならない痛みに。”今夜も眠れないのか…”と、絶望する。
■3月6日(日)
【AM 3:00】
思わず頭を搔きむしるほどの痛みが襲う。確実に強くなっていく痛みに、だんだんと冷静ではいられなくなっていく。はじめて出産への恐怖を覚える。
【AM 5:30】
痛みで足が震える。もう耐えられそうにないと思い、旦那さんを起こして再び病院へ向かう。
【AM 6:00】
内診をしてもらうと、子宮口は4センチ。昨晩より赤ちゃんも降りてきているとのこと。そのまま入院着に着替え、陣痛部屋へ案内される。
【PM12:00】
あれから子宮口は、全く開かない。二晩寝ていない私の体力は限界に近づく。看護婦さんからなるべく体力を温存するよう仮眠を進められるが、5分間隔の陣痛の合間にウトウトすることしかできず、いよいよメンタルが崩壊していく。
【PM 2:00】
仮眠を取りに帰っていた旦那さんが病室に戻ってくると、涙腺が崩壊。しばらく泣きながら陣痛に耐える。
【PM 5:00】
刺すような腹部の痛みから、砕けるような腰の痛みと、お尻から何かが突き上げるような痛みに変わる。それでも子宮口の開きに変化はない。ここから地獄の時間がはじまる。旦那さんに狭いベッドに一緒に入ってもらい、痛みがくるたび、テニスボールをお尻へ押し当ててもらう。強烈な痛みに、全身は汗でびっしょり。
【PM 9:00】
痛みの間隔は1分を切りはじめる。それでも子宮口はまだ5~6センチしか開いていない。終わりの見えない痛みに耐えながら、わずかな気力を振り絞る。
【PM 10:00】
また一段、痛みが増してくる。今度はお尻から何かが出そうな痛みに変わり、「赤ちゃんが出ちゃう!」と焦る。とにかくいきみたい衝動に駆られる。看護婦さんからは「いきまずに呼吸でいきみ逃しをして!」と言われ、思わず声が出る。部屋中に響き渡る大きな唸り声を出しながら、とにかくいきみ逃しに集中する。しばらくして破水。”これでお産が進む…”と少し安堵する。
■3月7日(月)
【AM 0:00】
陣痛の痛みは最終段階を迎える。これまでとは全くレベルが違う。「痛み」という言葉では片付けられない、腹部をえぐられるような痛みに呼吸ができない。パニックに陥り、我を失う。ベッドの上でのたうち回り、何度もナースコールで看護婦さんを呼び出しては「痛い!」「もう無理!」「まだ?」「お願い!早く(赤ちゃんを)出して!」とひたすら叫び狂う。それでも子宮口はまだ8センチ。とにかく呼吸をリードしてもらわなければ、この痛みを乗り切れそうにない。旦那さんにお願いをして、一緒に深呼吸をしてもらう。合間に何度か気絶しながら、旦那さんの手を握り、顔を見ながら呼吸をし続ける。
【AM 2:00】
子宮口全開。ストレッチャーで分娩室へ運ばれ、慌ただしくお産の準備がはじまる。しかしまさかのダブル出産で、同時に運ばれてきた妊婦さんのお産が先に進められる。その横でひとり、痛みに耐えながら自分の番を待つ。
【AM 4:50】
ようやく順番がまわってくる。局所麻酔をかけられ、会陰を容赦なく切られる。「陣痛がきたら、硬いうんちを出すように思い切りいきんでください!」と言われ、痛みの波に合わせていきむ。このころにはいたって冷静で、痛みも全く感じない。
【AM 5:08】
4~5回いきむと、にゅるっと何かが出てきた感覚。股の隙間からかすかに見える赤ちゃんが産声を上げる。

「生まれた瞬間は、きっと泣くんだろうな…」
妊娠中は、そんな想像をたくさんしてきたけど、いざ対面してみると意外にも「本当に人間が私のお腹にいたんだ…」という不思議な感覚でした。
安産でツルっと生むことが目標でしたが、まさかこんなに長い時間、陣痛に耐えることになるとは思わなかったし、なにより陣痛の痛みがこんなにも想像を絶するものだとは思いませんでした。(「末期ガンの痛みよりも強い」とか、お産後の身体は「交通事故後の全治〇〇か月の状態」なんて言われているけど、本当に死に近い痛みだと思った…)
とはいえ、分娩台での処置がはじまってからは15分ほどで生まれてきてくれたので、安産といえば安産だったのかも…?!途中、無痛分娩にしなかったことを本当に後悔するほど辛かったけど、一度はこの痛みを経験できて良かったといまでは思います。
それから長い時間、ずっとそばで支えてくれた旦那さんには感謝してもしきれません。旦那さんがいなければ、本当に乗り越えられなかった…。立ち合い出産ではないけれど、立ち合い出産にも勝る、かけがえのない時間だったと思います。
そして出産を終えた私に、「産んでくれてありがとう」と言ってくれた旦那さんの言葉は、一生忘れないでしょう。
…でも、次があれば絶対に無痛分娩にしよう。笑

tsumugiya-saki
「紡ぎ屋」の藤本沙紀です。2017年3月に東京から淡路島へ移住し、フリーライター・制作ディレクターとして活動しています。2020年に島の男性と結婚し、2022年には第一子を出産。ワーママとして日々、奮闘中。