
やっぱり淡路島でしかできない暮らしがある。そう感じた休日の話
2020年5月25日


ある日曜日の昼下がりのこと。
旦那さんの友人宅へ遊びに行くと、そこには都会で生きてきたわたしにとって、十分すぎるくらい衝撃的な光景が広がっていた。
大の大人2人でキャッチボールができるくらい広々とした裏庭には、
憧れサイズの家庭菜園。
いちごまで植わっている。
大きなウッドデッキには気持ちよさそうに洗濯物が揺られ
その周りでは水鉄砲を片手にはしゃぎまわるこども達の姿。

「いちごをとろう!」
こども達に連れられて、庭で育ったいちごを摘み取る。
いままで農園で育てられた、大きく立派ないちごしか見たことがなかったわたしには、手作り感あふれる、未完成で不揃いないちごたちがとても愛おしく思えた。
「お母さん、またいちごジャム作って!」
「分かった、分かった」
そんな親子の会話にすらキュンキュンしてしまう。
もちろん淡路島だからと言って、全ての家庭にこんなに広い庭があるわけではない。
むしろここのお宅は、地主でたくさん土地を持っているから、これだけ夢のような生活が送れているのだ。
それでもやっぱり、淡路島でしかできない暮らしがある。
そう感じた瞬間だった。

長女のHちゃんは、帰り際になるといつもプレゼントをくれる。
今回も作りたてのキーホルダーをくれた。
子供にもらったものって、なんでこんなにうれしいのだろうか。
これがもし自分の子供からだったら、きっともっと、うれしいんだろうなぁ…
わたしたちもいつか、マイホームで子供を育てる日がくるのだろうか。
子供たちから水鉄砲の標的にされ、逃げ惑う旦那の姿を見ながらそんなことを思う。
穏やかで愛おしい休日に、なんてことない
小さな夢を抱いた。