diary

hellパンギーナ

またまた時差投稿なのはご愛嬌♡

5月下旬にアデノウイルスを発症し、6月からまた保育所へ通い出した息子。

その後も何度か発熱はあったものの、大したことはなく、通常運転の日々に戻ることができました。

6月下旬のある日。いつものようにお迎えへ行くと、「ちょっと熱があるみたい」とのこと。

はいはい、また熱ねー。と、余裕をかましていたのも束の間。みるみる上がっていき、夜中には39℃越え。

翌朝、発熱外来へ連れて行くと「ヘルパンギーナですね」と、今回はあれこれ検査することはなく、のどを見ただけで診断がつきました。

「今年の夏はヘルパンギーナが流行っている」とTVでも見ていたので、もうどうしようもない。

”これで我が子もトレンド入りね!”なんて、そのまま解熱剤をもらって帰宅するくらいには気持ちの余裕がありました。

◆ヘルパンギーナとは
夏風邪の代表で、のどにできる水疱が特徴。のどの痛みと、38~40℃の熱が1-3日続く。特効薬はなく、自然に治るのを待つのみ。

<感染経路について>
ヘルパンギーナの感染経路は、飛沫感染が主ですが、実は便からもウイルスが排出されています。怖いのは、完治後もウイルスが体内にしばらく残っていること。闘病中はもちろん、ヘルパンギーナが治ったあとも安心せず、当面の間はおむつがえ時の手洗い・消毒、トイレ掃除は徹底して行ってください。

幸い息子は、この日の昼に熱のピークを迎え、夜には解熱。3日目の朝にはピンピンしていました。(念のため保育所はお休みしました。)

なにより驚いたのが、息子はのどの痛みが全くないのか、発熱中から通常通りの食欲で何でも食べていたこと。これじゃあ、病院へ行かなければヘルパンギーナと気付けなかったでしょう。熱がなく、通常通りの食事がとれていれば保育所へも登園できるので、結局息子は発症から4日目には保育所復帰をすることができました。

今回は高熱が1日だけと、症状自体は軽く済んだのでひと安心。しかしそのあと、なんと私が感染したのです。

息子の発症から5日後、のどの違和感で目が覚めたわたしは、”まさかね…”と思いながらも、その違和感を無視していつも通り保育所へ送る準備をはじめました。

送り届けたあと、なんだか身体の節々が痛いことに気付き、これは熱が出ると確信。”動けるうちに”と、早めに病院を受診しました。

その時点で熱は37.5℃。事情を話し、のどを見てもらうと「ヘルパンギーナではない」と言われ、咽頭炎の薬をもらい帰宅しました。

しかし帰宅後、熱はみるみる上がり、昼には39℃越え。

疲れ?風邪?と、ひとまず家にあった解熱剤を飲むも、微動だにしない熱。

おまけに悪寒で身体は震え、熱いのに寒いというよくわからない状況。

成す術もなく、気付けば夕方に。

息子の迎えなど行けるはずもなく、夫に連絡すると、次第に手足が痺れ出し、呼吸が乱れはじめ…

熱は6時間前と変わらず39℃を越えたまま、身体全体は熱いのに寒い、バグ的状況(゜-゜)

いよいよ下半身の感覚が無くなり、呼吸もどんどん苦しくなると、

「これは…死ぬのでは(。´・ω・)?」と怖くなり、思わず救急へ連絡。

しかし夫の帰宅の方が早く、呼んでしまった救急車にはごめんなさいをして、息子は義母に預け、わたしは夫に抱えられ病院へ。

病院へ到着すると、熱は40℃を越えていましたが、コロナであれば院内に入れないとのことで、ひとまず車内でコロナの検査をすることに。陰性と分かるとようやく車いすで院内に入る許可が降りました。(わたし靴なくて裸足だった。爆)

当直の若いイケメン先生にダサすぎる部屋着と振り乱れた髪の毛、熱で脂ぎったすっぴんを見られるのはなんとも屈辱的様でしたが、状況を説明しのどを見てくれた先生からは衝撃的な言葉が…!

「ヘルパンギーナですよ」

…え?!( ゚Д゚)

「どう見てもヘルパンギーナです。小さいけど、のどにヘルパンギーナの水疱が見られますよ」

後の説明では、コロナも症状が出てしばらく経ってから陽性反応が出ることがあるように、ヘルパンギーナも熱が出てしばらくして水疱ができた可能性があると。朝の段階では、まだ微熱程度で水疱が現われていなかったのではないか、という見解でした。

病院行くタイミング、むっず!!(*_*;

ひとまず高熱が長時間続いたせいで脱水を起こしているので、解熱の点滴をしてもらうことになりました。

先生「心臓に負担がかかるので、2時間くらいかけて入れましょうね」

看護婦「え、1時間で設定しちゃいました」

先生「あ、そうなの?まぁ若いから1時間でも大丈夫でしょう!息子さんも待ってるしね(*‘∀‘)ハハハ」

看護婦「わたしもよく1時間で自分に入れるから大丈夫(^_-)-☆」

と、なんとも不安をあおられる会話がベッドの横で繰り広げられましたが、とにかくこの熱から解放されるならなんでもいいわ…と点滴を打ってもらい、ようやく解熱し一人で歩けるまでに快復。

その後も、39℃越えの熱は2日間続きましたが、発熱から3日目、ようやく平熱に。

しかしそこから、とんでもない拷問が待っていたのです…(-_-メ)

※閲覧注意!!のどの水疱、見せます!

解熱後に現れたこの水疱がね、とにかく

クッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッソ痛い。

しかも、日に日に痛みが増すのよ。

いままでもさ、風邪とかでそれなりにのどの痛みは経験してる。

けど、全く比にならないレベルの痛み。

食べられないだけじゃない。飲めない。水さえも。

そして喋ることもしたくない。極力会話したくない。

寝ても覚めても何してても痛い。とにかく痛い。

たかがのどの痛みなのに、何もする気が起きないほどの痛みって、経験したことない。

メンタルも蝕まれていきました😇

名前の通り、まさに「hellパンギーナ」だなって。(違う)

3日後くらいに痛みのピークを迎えて、そこから次第に治まっていったけど、のどの痛みだけで10日ほどかかりました。

もう二度とかかりたくないって思った。(←8月にまたかかります)

どうやら子供より大人の方が重症化しやすいとか?

おかげでヘルパンギーナ中は、かなりネガティブになりました。

これは何の仕打ち?!ただ生きてるだけなのに。頑張って子育ても仕事も家のこともしてるだけなのに。

わたし何か悪いことした?罰でも当たったの?そうか、よっぽど前世で悪い人間だったんだろうな( ̄ー ̄)

なんて、割と大真面目に自問自答するくらい。笑

もうね、息子の体調不良→わたしの体調不良→他にも嫌なことが重なったりで、なんかもうすごいしんどかったよね。

でもね、悪いことばかりじゃなかった!

わたしがヘルパンギーナにかかったことで、夫婦関係がとても良好になりました。

何もできなかった間、家のことも息子のことも全部やらざる負えなくなった夫は、

はじめて自分で経験したことで、わたしの大変さを理解してくれるようになりました。

そして、「これは大変だわ」と。はじめてわたしにそう言ったのです。

それからは家族の空気がまるで変わり、「家族はワンチーム!」感が以前よりUPしたのです。

本当に本当に、いろんなことをよくやってくれるようになりました。

もちろん、いままで何もしてなかったわけではないです。

言うなれば、夫が「痒いところに手が届かない」存在から、「痒いところに手が届きまくる」存在になりました。

言わなくてもやってくれてることが増えた。「あー、これあとでやらなきゃな…え、やってくれたの?!」みたいな、一歩先を読んで行動してくれることが増えた。阿吽の呼吸。

こうなるまでに受けた代償はいろいろデカかったけど、息子が家族のために身を挺してくれたことなのかな?と。

いまはそう思えてならないのです。

「子は鎹」と言うけれど、本当にその通りだなと。

意味を持って、わたしたち夫婦のところへ生まれてきてくれてるのだなと、感じずにはいられない出来事がずっと続いています。

息子が日々、わたしたち夫婦を親にしてくれてる。

とはいえ他に方法はなかったのかと思うほど本当に地獄のような期間だったけど(笑)、これもまた、ひとつの人生経験として受け止めたいと思います^^

「紡ぎ屋」の藤本沙紀です。2017年3月に東京から淡路島へ移住し、フリーライター・制作ディレクターとして活動しています。2020年に島の男性と結婚し、2022年には第一子を出産。ワーママとして日々、奮闘中。