diary

「子供は難しい」と言われた私が、妊活2ヶ月目で妊娠した話

いまから7年前。私は渋谷の神泉駅で、人目もはばからず泣いていました。

レディースクリニックの帰りでした。

ことの発端は、仕事のストレスから生理が半年ほど止まってしまったこと。なんとなく病院へ行っておいた方が良さそうだと思い、軽い気持ちで受診することにしたのです。

診断結果は「多嚢胞性卵巣症候群」という卵巣の疾患。エコーに映し出された“ブドウの房”みたいな卵巣を見つめながら先生に告げられた言葉はとても衝撃的で、いまも当時の情景をまるごと思い出せるほど、記憶にしっかりと焼き付いています。

「あなた自身の体の力では、もう生理を起こすことができません。将来的に、子供も難しいかと…」

頭が真っ白になるというのはまさにこのことで、そのあとの説明は全く聞こえず、目の前の景色がスローモーションのように過ぎ去っていきました。

会計を済ませてクリニックを出た途端、堰を切ったように溢れ出す涙。

朦朧とした意識の中、最寄りの神泉駅まで歩きながら、失意のどん底に打ちひしがれていたことを昨日のことのように思い出します。

その後はホルモン剤による治療がはじまり、発熱と腹痛、倦怠感との闘い。食事に気を付けたりと、できることは努力を重ねてきました。

それから紆余曲折、5年前に淡路島へ移住。不思議なことに、それまでホルモン剤を飲まなければ生理がこなかった体が、飲まなくても自然と生理を起こせるまでに快復したのです。

そして旦那さんと出会い、結婚。「結婚式が終わるまでは子供は作らない」という夫婦の意向で、ピルで避妊をしつつ、卵子の無駄づかいを避けるため卵巣を温存。同時に冷え取りにも出会い、体調がとても良くなっていくのを実感しました。

いよいよ結婚式を終えるタイミングで、妊活を開始。1ヶ月目は基礎体温をしっかりと計り、排卵日とにらめっこをしながら完璧にタイミングを取るもリセット。

まぁそう簡単じゃないし、こういうことは構えすぎるのも良くないと聞く。のんびりいこうと切り替え、2ヶ月目は早くも基礎体温を付けることを放棄し、排卵日も気にせず過ごすことに。

もちろん、そんな「適当」な過ごし方をしたので“妊娠なんかしないだろう”と高をくくり、いつも通り、生理予定日に備えていました。

しかし3日、4日経ってもこない…ここ3年間、予定日から2日以上ズレたことはなく、まさか…?と思い始めながら5日が経過。このころには身体の火照りやのどの渇き、トイレの近さなどいつも感じたことのない症状が出てきていたので、なんとなく妊娠を確信していました。

やはり生理がこないまま7日目を迎え、旦那さんを仕事に見送った後、いよいよ震える手で妊娠検査薬を試すことに。

1分ほどで結果が分かると書かれていた検査薬でしたが、15秒ほどで縦のラインがくっきりと表示され、力強い陽性反応を感じました。

ずっとずっと望んでいたこと…しかしいざ妊娠が分かると動揺するもので、すぐに旦那さんへ電話をかけると思わず涙が溢れ、泣きながら妊娠を報告。

あまりにも私が泣くので、旦那さんからは「それはどういう涙?^^;」と心配されるほどでした(笑)

その後、病院でも妊娠を確認。

5週目が終わるころにはつわりがはじまり、まるで地獄のような2ヶ月間でしたが、改めて世のお母さんたちを尊敬する日々でもありました…。

何度もメンタルは崩壊しかけ、あまりの辛さにガチ泣きすることも。割と痛みにも我慢にも強い方のわたしですが、そんなものは比べものにならないレベル…いままで生きてきた中でもトップクラスに躍り出る辛さでした。

「母は強し」と言いますが、妊娠してはじめてその言葉の意味や重みを感じています。(もうこのつわりに関しては、また別で1本語らせてください…笑)

しかし検診ですくすくと成長し、小さな心臓を一生懸命動かしながら生きる我が子の姿を見るたびに、涙が溢れるほど愛おしく、不思議と力が漲り、辛いつわりも乗り越えることができました。

仕事も死ぬほど忙しい時期でしたが、幸い理解のある方ばかりのチームで仕事をさせてもらえたので、たくさんのフォローをいただきました。

おかげさまで現在15週目に入り、安定期まであと1週間のところまでくることができました。

つわりも13週目にやっと落ち着き、身体にも心にも余裕が出てきたところです。

コロナ禍ということもあり、さまざま不安もある中ではありますが、残りの5ヶ月もしっかりとこの子を守りながら生活をしていきたいと思います。

「紡ぎ屋」の藤本沙紀です。2017年3月に東京から淡路島へ移住し、フリーライター・制作ディレクターとして活動しています。